2009年04月29日
恐い体験
まだまだ暑い季節 夜は少し寝やすくなった頃だったと思う
子どもたちを いつもの様に 2階の寝室へ寝かしつけ
1階でテレビを見て くつろいでいた私たち
また、『しょう』 の泣き声が聞こえた
「あ~~、また恐い夢でも見たのかな?」 と私が寝室へ
いつものようになだめるのだが その時は、何か変だった
目をつむったまま
「こわい、こわい、こわいよぉー」 と『しょう』
「よしよしよし」 とトントンと軽くあやしつけるだけど 全然落ち着かない
それどころか ブルブル震えだした
段々、震えが激しくなる
もうブルブルどころではない ガタガタと両手をあごの下で
の状態で体は丸まったまま 両手が異常なほど ガタガタと震えている
これは、普通じゃない 何か変だ
そう感じた私は
「寒いの
」 と聞いてみた「うんうん」とうなずく 『しょう』
このクソ暑い時に
と思ったのだがとにかく 温めてやらないと とタオルケットで体を包む
それでも ガタガタは止まらない
これでは、到底無理だと 思ったので 今度は冬用の羽毛布団を引っぱり出し
『しょう』 の体をくるむ
まだ、ガタガタ震えが止まらない
「まだ寒いの
」 と聞いてみた「うんうん」とうなずく 『しょう』
もう1枚の羽毛布団を 取り出し 2枚重ねて 『しょう』 を包む
それでも 震えが止まらない
体温の方が温まるかもしれないと 私の懐に 抱きしめて羽毛布団を2枚重ねてみる
それでも 止まらない
これは、尋常じゃない 何かが起きた
そう感じた私
大声で 1階にいる お父さんへ
「お父さーーーん しょうがおかしい何か変 急いで塩持って来てーーーー
」ところが 何も返事がない
それでも 何度か叫んでみた
返事がない
仕方ない、私が取りに行くしかない
『しょう』 を一人にするのは 気がかりだが それしかない
「すぐ来るからね 少しだけ待っててね」 と大急ぎで1階へ駆け下りるいるはずのお父さんは なんと何も気づかず トイレからゆったりと出てきた
「しょうが何かおかしい」 とだけ言い 塩をつかみ 2階の寝室へ戻る
「もう大丈夫だからね」 と『しょう』に言いながら『しょう』 の頭に軽く塩をふりかけ 念のためと『しょう』に一舐めさせる
すると 本当に不思議な事が起こった
塩を振りかけて 5秒ほどたった頃 ガタガタが少しずつ落ち着いてきた
スーーーーッと 何かが引くように・・・
そして、震えがなくなり 寝息が聞こえてきた
しばらくは 『しょう』 を抱きしめたまま 様子を見ていたのだが
どうやら 寝入ってしまったようなので
羽毛布団を 1枚ずつ 剥がしていき 薄い夏用の布団だけにした
もう大丈夫 何事もなかったように 寝入っている 『しょう』
それにしても あれは いったい何だったんだろう

2009年04月28日
見えないもの
何かしら不思議な経験をしますよね
ここでいう不思議な経験とは いわゆる霊的なもの
考えすぎかも~ とは思うけれど
走り回れるようになった 『しん』 と よくはしゃぎまわるようになった『しょう』
キッチンで後片付けしている私、キャーキャー、ドタドタ 走り回る子供たち
リビングからダイニング、キッチン、玄関へと そしてまた逆回り
一周できるので よく追いかけっこを していました
そして、突然 「うわぁーーーーーー (|||ノ`□´)ノオオオォォォー!!
」 と『しょう』半泣きで ビビっている あきらかに こわがっている
「どうしたの
」
「何かいた」 と玄関を指さす玄関の電気は消していたので 夜でもあるので暗かった
何かの明かりを そう感じたのでだろうとは 思うけど
やっぱり、恐がっている
私としても 我が家に変なものが現れるなんて 気持ちのいい物ではない
「大丈夫、大丈夫 お母さんが付いているから 何でもないよ」 となだめるある時は、これが一番イヤだったんですが
2階の寝室で 子供たちを寝かしつけた後
私たち夫婦は 1階でテレビを見ながらくつろいでいるのだが
よく 夜中に泣きだしたり 急に起きだしたり
その時に ガバッと起きだした途端、ベッドの端を指さし
「何かいるー、こわいーー ほらーそこー」もちろん、私には何も見えないし 感じない
よく分からないので、とりあえず 落ち着いてもらわなければいけないので
指さしたところへ 声をかける
「あっち行って
だめ
この子にはわからないからあっち行って
」と怒鳴ってみせる
いつかテレビで 「はっきりと厳しい口調でもいいから 断りなさい」
と言っていたことを 思い出し 実行してみたのだ
指さす方向が すぐに変わる 右→ 左← 右→ と
その度に 同じように声をかける
そういうことを しばらくやっていると 落ち着いてくる
「もういない
じゃぁ、大丈夫ね」と一通り落ち着いたら 大人しく寝てくれるのだ
残念ながら 私には 見えないし感じないので
それがどういうことなのか 未だによくわからない
翌年、母に連れられてユタさんの所へ言った時
ユタさんへ このことを質問してみた
ユタさんが言うには
「何も手を加えないで野ざらしになっていた土地に 新築すると
1年くらいはそういうことが起こるよ
野ざらしの状態の時に 霊の通り道になっていたんだね
でも大丈夫よ これからはこういうことはないから」 とのこと
そういう解釈が正しいのかどうかもわからないのだが
とりあえず 1年経過した頃には そういう奇妙な事は起きなくなった
と同時に 『しょう』 の一連の変な行動もなくなったのだ
2009年04月27日
マブヤー
うちの両親が 自分たちの運勢を占ってもらうため
ユタさんへ行きました
☆:★:☆ ご説明しましょう ☆:★:☆
『ユタ』とは、沖縄では有名な 霊能者
霊感が強く 運勢占いや 家相や拝み
他にも先祖の霊との交信や厄払い、悪霊払い
それぞれに得意分野があるようです
☆:★:☆ ☆:★:☆ ☆:★:☆ ☆:★:☆
両親は年に何回かユタさんへ行っていました
私は 少々、苦手で 1・2回付き合って行ったくらいですが・・・
そこで、いつものように これからの運勢を占ってもらおうとすると
ユタさん 「あんた達 身内の中で 海で亡くなった人 いないね~」
父 「ん
居たかな
覚えがないな
○○のおじさんかな
」
「あーー、違う違う 小さい子よぉー」
(ますます分からない
)「子供ですか
子供で海で亡くなった子って聞いたことないな
」
「あーー、違う 亡くなってないねー 最近だよー」
「
『しょう』 だっ
」
「溺れかけた子はいますけど その子がどうかしたんですか
」
「あー、マブヤー落としてるねー 早く戻してあげないとー大変なるよぉー」
『マブヤー』とは、魂のことですということで、父から連絡があり 急いで 『しょう』 のマブヤーを取り戻すことになりました
そして、『しょう』の持ち物を持ち ユタさんとうちの両親 私たち夫婦
再度、忌まわしい思い出の残る 綺麗な海へ 訪れる事になりました
ユタさんの拝みで始まり
『しょう』 の持ち物に 『しょう』 が落としたマブヤーを込め
それを抱きしめるように 家に持ち帰り 『しょう』が寝る時に枕元に置くようにしました
正直、こういうことを感じない私は あまり信じ込むことがありません
半信半疑で いると・・・
溺れた時以来、
「海いきたーーーい」 「こんど、いついくのーーーー」 としょっちゅう言っていた 懲りない『しょう』は (そう思っていた)
マブヤーを取り戻した一件後、一切まるで忘れたように言わなくなったんです
あれって、『しょう』 のマブヤーが 「早く迎えに来て
」って呼んでいたのかもそう思った時、ゾクっとするものを感じました
こういうことって やっぱり 何かしらあるんですよね
子供って感受性が強く ピュアだからでしょうか
何かを感じ取るんでしょうね きっと
その頃 『しょう』は、よくいろいろな行動をしていました
恐い話は この次にいたしましょうね
2009年04月26日
病院で・・・
「肺に少し 水が残っているものの 大丈夫です」 との診断で
その日は お薬を頂き ほっと一安心で家へ帰りました
その夜は、やはり ショックのせいもあったのでしょう 熱を出すも
翌日から また 元気をとり戻した『しょう』 でした
『しょう』 が寝てしまった後に お父さんが話してくれた
その日の病院での 出来事です
受付して 呼ばれるまでに 『しょう』は
「トイレ行きたーい」 と言ったのでお父さんが トイレまで付き添った
そして トイレへ連れて行き 便器に座らせた時 『しょう』 が言ったんです
「ねぇ、お父さん、今度いつ海に行く~~~~」
「・・・・・・・・・・・・
」変でしょう 溺れたその日ですよー
あまりにも 変な言葉に お父さんも言葉がでず
「しょう、大丈夫か
頭おかしくないか
」私もそう思った でも ショックで一時的におかしくなる事ってあるかもしれない
にしても あんなに怖い思いしたのに 変ですよね
そして 2日後の朝も 起きるなり
「おかあさーーん、おじいちゃんとね 海行くゆめみたよー また行こうーねー」なんだコイツ いくら何でも 信じられない
あんな怖い思いしたのに もう忘れてるよーーー

それから 1か月くらいのうち 何度か そんなことが続いた
これには 理由があったんです
ごめんなさい 長くなるので 次回へ持ち越させて下さい
2009年04月25日
人生最大の事件
折角、沖縄に来たのだからと 兄の家族、私たち家族、そして両親
大勢で 海へ 遊びに行く事になりました
『しん』 が退院後、まだそんなに経っていないので
少し心配もあったが 『しん』 も 『しょう』 も 遊びたいだろうと
楽しい一日になるはずでした
その日は 本当にいいお天気で 真夏日となりました

大勢でやってきたところは 伊計島
凄くきれいな海で どこまでも透明でした
ビーチからすこし入った その名も「プライベートビーチ」
人も少なく 静かな海でした
木陰に荷物を置き 水着に着替え 子供たちは 待ちきれない様子で
海に入り 水遊びを始めました
病み上がりの 『しん』 は 強い日差しの下 遊ばせるわけにもいかず
大きなパラソルを砂地に立て 砂遊びセットを持ち込み
子供たちと一緒に 砂遊びを始めました
しばらくすると 兄の家族と私の両親は 海に入っていきました
病み上がりの『しん』を 海へ行かせないように 私と『しょう』と3人は
パラソルの下で 砂遊びを 続行
私は 『しん』の入院、家事、『しょう』の誕生会と
ハードな連日の疲れがありました
砂遊びをしている 『しん』 の傍で 少しボーッとしていました
その時、事件は起こりました
「お水くみに行ってくるーーーー」 と小さなバケツを持って 『しょう』 が海へ向かっていった
そこまでは 覚えている
そして 声が聞こえた
「しょうくんじゃない?」 (お嫁さんの声だ)
なんとなしに 顔を上げる
海に目をやると 甥っ子が泳いでいる 頭の向こうで
赤い小さな水泳帽をかぶった 頭が 浮いて沈んだ
頭が一瞬、凍った
『しょう』 だ
暑い砂の上を 思いっきり走った
海に向かって 走った
なんと 砂場から海までの距離の長い事
父が 笑ったまま 『しょう』に近づいていくのが見えた
早く はやく 早く 早く捕まえて
スローモーションに見えた
ゆっくり ゆっくり 父が 『しょう』 に近づいていく
そして、父が 両手で 『しょう』 の両脇を抱えあげた
水から出てきた 『しょう』 は頭をぐったり後ろに 口から泡を吹いていた
「ダメーーーーッ
下に向けてーーー
」父は事の重大さに気づいていない様子
まだ、笑い顔のままだ
ダメだ 間に合わない
波をかき分け 父と『しょう』に急いで 近づく
奪い取るように 父から 『しょう』を 取り上げる
その時、私は パニック状態だった
人は、パニックになった時 本性が現れるものです
私は 何を血迷ったのか 「なんで、気づかなかったのよーーーっ」 と 口走っていた
最低です

お嫁さんの あの声がなければ 絶対気付かなかったくせに
父が一番初めに 近づき 助けなければ 間に合わなかったかもしれないのに
ボーーッとしてて 子供がひとりで 海に入っていくのにも気づかなかったくせに
私は 父から 『しょう』を奪い取り
肩に背負い 陸へ目掛け 大急ぎで 走った
『しょう』 の背中をタンタン叩きながら とにかく走った
暑い砂が その時は気にならなかったし 覚えていない
木陰で荷物番として 休んでいたお父さんのもとへ 走った
・・・・・・・・・・ 熟睡していた

「起きてーーーーーーっ
しょうがおぼれたーーーーーっ
」とにかく 水を吐かせなければ 背中をトントン叩きながら
木陰のシートの上へ 『しょう』を寝かせる
『しょう』 は意識があった
びっくり眼が さらにびっくりになり おびえたような顔だった
ほっとしたと同時に 訳のわからない怒りも込み上げてきた
多分、自分自身への怒りだったのだろう
「ばかーーっ ひとりで入っちゃいけないって言ったでしょーー」
「でも・・・・・・・・ 良かった~~~~」
叱ってしまった
抱きしめた
後はあまり 覚えていない
結局、その後 海で遊ぶ気にもなれず(当たり前なのだが)
やっぱり、何かあってはいけなので 帰り道病院へ連れて行く事にした
中部の病院へ行くも その日は診療が終了していた
帰りの車の中で 何度も何度も 吐いていた『しょう』
吐き出した方がいいからと 吐き出しては 水を与え 吐き出すを繰り返す
そして、帰ってから家の近くの救急病院へ行く事になった
2009年04月24日
お誕生会
『しん』の入院で 誕生日を祝う事ができず
その週の土曜日 大阪から遊びに来ていた 兄の家族も交えての
誕生会をすることになった
『しん』 の入院で 寂しい思いをした分 楽しいパーティとなった
甥っ子、姪っ子 も交え いっぱいのプレゼントと
いっぱいいっぱい 遊んだ 『しょう』
その夜は遅くまで 遊びまくった

大満足の 『しょう』 です
2009年04月23日
入院
熱を出し 苦しそうな息使い
お薬もなかなか 嫌がって飲んでくれない
そして、風邪をこじらせてしまい 再度、病院へ連れて行くが
「肺炎」 との診断で 入院することになった
8月3日のことでした
『しん』 1歳と4か月
小さい手に 針が刺さり 点滴を受けている姿が 痛々しい
完全介護とはいえ まだ小さくて甘えん坊の 『しん』
その日から 泊まり込みで 『しん』 に付いていることにした
当然、『しょう』 はお父さんと二人で 夜を過ごすことになった
朝、お父さんと交替して 家へ戻り 簡単に家事を済ませ
夕飯の準備をした後、また病院へ
入院は4日間でした
病院のご飯はどうも気にいらないようで なかなか食べてくれない
点滴のお陰で 食べなくても 元気はある
お父さんは、私を気遣い 私が病院へ行っている間 家事をしてくれていました
ある時、家へ帰ると 綺麗に掃除され キッチンも片づけられ

びっくりしていると 「ゆっくり休みんで」の合図だったようです
でも、なんだか落ち着かず 寝ることもできず
結局、また病院に戻ってしまいました

後日談ですが、お父さんが 『しょう』 を一人家に残し ちょっと買い物に出かけ
帰って来た時に 家の中から 歌声が聞こえたそうです
ひとりぼっちでいる寂しさや 恐さを 大きな声で歌って しのいでいた『しょう』
「あ~、この子は 自然に自分の弱さや 辛さを 紛らわす方法を知っているんだ」 と
お父さんは 感じたそうです
それを 聞いた私は 何とも複雑で かわいそうな思いをさせてしまった と
辛くなりました

『しん』 8月8日に退院することになった
2009年04月21日
歩き始め
1歳の誕生日より少し前だったと記憶しています
『しょう』 とは 少し違って (『しょう』は手をつなぐのを嫌がる子でした)
『しん』 は手をつなぐのを あまり嫌がりません
次男は甘えん坊になるんでしょうか
私にくっついて離れない子でした
家の中では お兄ちゃんの後を ヨタヨタしながら 追いかけまわしています
ふたりして キャーキャー 言いながら 走り回っている
元気な姿を 見ているのが 幸せの時間です
まぁ、少々 やかましいのが難点なんですが・・・
アパート暮らしでは出来なかった 大はしゃぎ
一軒家の一番 いいところです
周りの人を 気にせず 大声で ドタバタ出来る
子供にとって 一番 いい環境ですね
ここは 静かで 周りの家もくっついていないので 安心して子育てができます
これは 本当に主人に感謝です
2009年04月20日
初登園
親から長時間離れることが 初めての経験
少しの不安もありましたが
初めての登園の時、ダーーーッ
と走り出し 保育園の中へそして、後ろを振り返りもせず お友達の中へ
きっと、同じ世代の子供たちと 思いっきり遊びたかったんでしょうね
元気いっぱい はしゃいでいる 『しょう』 をしばらく様子を見ながら 後にする
複雑な心境ながら 楽しそうに溶け込めるのなら 大丈夫
うーまくー 『しょう』 の本領発揮というところですね
これから どんな お友達が出来 どんな経験をするのでしょう
2009年04月15日
お友達づくり
ちっちゃい 『しん』 を抱えながら 公園へ連れて行っても
追いかけるにも限界が・・・
小さな同じ年代くらいの子供が遊んでいると
『しょう』 は自分から近づいて行って 声をかける
声を掛けられた子供の方が 「誰だコイツ」 みたいな顔をしてみられるくらい
前回の 「プチ家出?」 の件もあり
これは、そろそろお友達作りの時期に入っているな と感じ始めた私は
保育園探しを 始めた
まず、家から近い事 そして 動き回るのが大好きな 『しょう』 が
走り回れる庭のある 保育園がいい
そして、散歩しながら 探し回る事に
そこは案外、すぐに見つかった
家から車で5分以内 歩いても10分くらい
砂場のついた大きな庭のある保育園です
子供たちが 元気にはしゃぎまわる姿をみて
『しょう』 と一緒に 見学に行ってみた
すぐに園の子供たちの中に入り おおはしゃぎの 『しょう』 を見て 決めました
そして、4月15日 初めての登園となりました
『しょう』 にとって プールをのぞいては 初めての団体生活となります
2009年04月14日
プチ家出?
そろそろ 我が家にも慣れた ある日(多分、3~4か月経過した頃)
ちょっとした事件が起きました
いつものように 『しょう』 と 『しん』 を連れて 近くのスーパーまでお買いもの
そのスーパーには 入口付近にチャイルドルームが設けられていて
『しん』 がまだ小さい事もあり 『しょう』 をなかなか遊びに連れて行く事ができず
このスーパーで 『しょう』 を思いっきり遊ばせてあげるんです
『しょう』 もそれを知っているので お買物の後 楽しそうに遊んでいました
その日も 遊ばせていたんですが
『しん』 がちょっと風邪気味のせいもあり 寝てしまった
そこで まだまだ遊び足りない とちょっとだだをこねる『しょう』に
「今日はもういいでしょう いっぱい遊んだじゃない
しんが寝てしまってるから 今日は帰ろう また来るから」
と なだめながら 連れて帰った
いつもは ちゃんと言う事を聞いてくれる 『しょう』
その日に限って なんだか機嫌が悪く いくら言っても 聞かない
しまいに
「いいよ、もう ぼくひとりでいく」
売り言葉に買い言葉 どうせ行けないくせに と私
「はいはい、じゃぁ行けば
」
そこら辺を 歩きまわれば気も済むだろう と
『しん』 を寝かしつけ しばらく家で待っていた
しばらくしても 物音もしなければ 帰ってくる様子もない
何だか不安になる
『しん』 を寝かしつけたまま 外の様子を見に行く
どこにも姿がない
まさか どこ言っちゃったの
迷子になったんじゃない
心臓が 不安でドキドキしてきた
こんなことって こんなことって そんな・・・・・
どうしよう どうしよう どうしよう
『しん』 をそのまま置いて 動き回るわけにもいかず おろおろしていると
家のメーカーの営業の方が たまたま 我が家を訪れた
私が家の前を おろおろしていると
その方が
「私が探してきますので」と 探しに行ってくださった
しばらく 待っていると
その営業の方が 『しょう』 と手をつなぎ 歩いてくる
あ~~~~~ 全身の力が抜けて行くようだった
聞いてみると どうやら そのスーパーへ歩いて行こうとしていたらしい
テクテク歩いている 『しょう』 を見かけ 連れて来てくださった
なんと まだ 3歳にもならない 子供が 方向だけはあっていたようだが
途中、わからなくて うろうろしていたようだ
後にも先にも プチ家ではこれが初めてのことである

2009年04月12日
1歳の儀式 次男編
4月6日 次男の満1歳を迎えました
長男と同じように やはり沖縄の満1歳の儀式を行いました
テーブルの上に そろばんやお金、本などを並べ
1歳を迎えた 子供に ひとつずつ 取らせます
それで この子の未来を占う みたいな
そして、おじいちゃん おばあちゃん(私の両親) 親戚のおばちゃん おじちゃん
甥っ子、姪っ子 などなど ご馳走を用意し 親戚一同をお招きしました
大勢のお客様がいらっしゃる前に その儀式を行います
テーブルに並べられた品は 5品でした
お札
鉛筆
本
ご飯
電卓
最初に手にしたのは
ジャカジャカジャカジャカジャカジャカ ジャーーーーーーン
え・ん・ぴ・つ
でしたーーーーーっ


これは、かなりの勉強家になるのかしら~~~~
そしてーーーー 次男 『しん』 の誕生日が始まります
我が家を新築して 正式にお招きするのも 『しん』の誕生日と一緒にしようということで
その日は 前日から 大忙しのわたしでした
その日は 『しん』 の誕生日ケーキで お誕生会が始まり
お誕生会の後
我が家のお披露目ということで 大勢の方に 家の中を隅から隅まで 見てもらい
子供たちは 2階で 大騒ぎ
次から次と 沢山の方が 来てくださって 夜遅くまで 賑やかでした
記憶にはもうありませんが 私は 多分、翌日 バテてたでしょう

とりあえず、 新築の我が家のお披露目 と 『しん』 のお誕生日を無事終える事ができました
2009年03月22日
引っ越し
このブログへお越しくださった方へ
20年前の我が子の成長を 振り返り綴っています
古いお話ですが 折角お越しくださったのですから
くつろいでくださいね

結婚して3年目
『しょう』は2歳、『しん』は6か月の頃
アパートの駐車場など小さなちょっと嫌な事があった
まぁ、普通に日常で起こるような出来事なんでが
主人はすこーし、面倒く思っていたようだ
ある日、突然 私に告白した
「あのさー、俺さー 土地 持ってるんだ」
「
」 (何を突然、突拍子もない事を言ってるんだろう
)「そうなんだ~、全く知らなかった ・・・・・・・・で
」
「んーー、その土地、使うつもりはなかったんだけど家、建てちゃおうか」
初耳であった 寝耳に水
とでもいうのでしょうか今頃、こんな告白をするなんて
結婚前に言わなかったのは それを当てにして欲しくなかったようだ
私を見くびってくれたもんだわ
別に私は家や土地というものに 執着心はなく
アパート暮らしでも 別に構わないと思っていた
こうして 家族が出来ただけで 幸せだから それでいいと・・・
結局、我慢できなかったのは 主人の方だったようだ
ということで 早速、新築するにはどうするか
モデルハウス周りが始まった
あれこれ見た末、パナホームに決めた
夏は涼しく、冬は暖かく 湿気がこもらない
その上、浴室自体が乾燥機になっている設備が気に入った
工期も早いし 持ちもいいらしい
で、ユタさんの判断で旧暦の年末までに引っ越さなければいけない
ということで 新暦で 2月14日 バレンタインデーに 新築の我が家へ引っ越した
納期もぎりぎりで とにかく早く引っ越さなければいけないという事で
なにやら 塩や何か(すっかり忘れている
)を先に届け荷物も解いていない箱だらけで お布団を広い部屋に敷き詰めて
家族4人 簡単な食事をした
何にもない お部屋
だけど 何にも言えない幸せ感

子供たちは 大きなおうちが嬉しいけれど
どうしていいのか分からない様子です
1階には キッチン、ダイニング、リビング、和室
2階に 夫婦の寝室、16.5畳の仕切りなしの子供部屋(でかい!) そして お風呂
「大の字に寝たい」 との主人の要望で
セミダブルベッドを2つ並べました
まだまだ小さい子供たち
夫婦の寝室に親子4人 並んで寝ました
大きすぎるベッドが たちまちいっぱいになりました
それも幸せの 形です

そして 新しい生活の始まりです
2009年01月12日
成人式

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今日は、成人式
今、東京にいる 長男『しょう』は 今年成人式です
残念ながら 沖縄へ帰ってくることはありませんでした
正直、私たち家族にとっても初めての成人式
『しょう』が授かった時の 主人の夢は
誕生祝いと頂いた 名前入りの壺酒を
二人で飲むことでした

それは叶いませんでした
「帰っておいで」と言うと
「暇もない、お金もない。だから帰らない4月からの生活も考えないとね」
何もしてやれない母は ちょっと辛いです
でも、自立している息子は誇らしいです
この子はとっくに 成人してるんだと 実感した母であります
2009年01月11日
肌荒れには
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『しょう』は 肌が弱いようで 夏場はあせもだらけ
トマトが好きで 顔中、頬張って 嬉しそうに食べてたら
口の周りが真っ赤に腫れちゃったり
一度、下痢で お尻がかぶれて 大変な時もありました
いつも気を使っていたけれど すぐにかぶれてしまう
その時から お尻を拭くときは コットンに温いお茶を浸した物を使うようにしました
時には、お茶で洗うこともしましたよ
お茶には殺菌効果もあるし、飲物ですから体に害があるはずもなく
そうすると、あまりかぶれることがなくなりました
皮膚が弱い赤ちゃんへ お勧めの お手製のおしりふき
ただ おしめにお茶の色が付くのが 難点です
すぐに 水につけるか 洗うようにすると それは防げますよ
一度、お試しあれ
2009年01月09日
夜泣き
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くつろいでくださいね

なちぶさー『しん』は夜泣きも よくしました
夜明け前には出勤する主人を 起こしてしまわない様に
抱いてあやして おっぱいをあげて 寝かしつける
でも、さすがにこう毎日続くと 寝不足で体力が続かない
動き盛りの『しょう』は さすがに寝相が悪い
まだ、小さい『しん』の上へ かぶさっては大変なので
『しん』だけ ベビーベッドへ寝かせていた
夜中に何度も 泣きだし あやしてやっと寝かしつける時も
そ~~~っと そ~~~~っと 置かなければ また、振り出しに・・・

このベビーベッド アメリカ製で 結構高さがあるんですよ
欧米人の体系に合わせて作られてるので
私の体では 腰の位置が高すぎて 寝かせるときかなり無理な姿勢になる
腰も痛めてる私としては ほとんど拷問

で、結局 おっぱいを与えながら 自分のお布団に添い寝状態にすると
おとなしく寝てくれる (ー。ー)フゥ
そのうち、私も寝ちゃったんです
それに味をしめた 『しん』
ではなく 私は 毎晩、それで寝ることが出来るようになった
が、後遺症といえるかもしれないけれど
片方のおっぱい大きくて 左右大きさが違うんですよ
これは、当時の私としては ショックでした

でも、20年近くも経つと どっちがどっちか分かんなくなるもんですね
とりあえず 夜寝る時間は多少作れるようになったとさ
2008年12月19日
けが
20年前の我が子の成長を 振り返り綴っています
古いお話ですが 折角お越しくださったのですから
くつろいでくださいね

実家へ行った時のこと
この時、私は不在でした
後で 主人に聞いた話をします
やんちゃ盛りの 『しょう』は おじいちゃん、おばあちゃんとお父さんと
「キャーキャー」 言いながら 走り回って 遊んでいた
そこで 事件は起きた
家の中を 嬉しそうに 笑いながら 走り回っていた 『しょう』
大きな柱へ 突進したのだ
柱の角に頭から 突っ込んだ
額を思いっきり ぶつけ パックリと切れた
「ギャーーーーッ!」 と泣き叫ぶ 『しょう』
主人が 急いで 救急病院へ連れていった
救急病院で 何針か縫うことになった
処置をするということで 泣き叫ぶ『しょう』を 抑えていた主人に 医者が
「お父さん、 今から縫うから 見れないよー お父さんは出てった方がいいよ」
「
(ふざけんな
) いいから早くやって」泣き叫ぶ 『しょう』
「これくらいで 泣くな
」泣くだろう
普通
ただでさえ、激痛で 知らない白衣のおっさんが よってたかって抑えてるのに
不安で怖くないはず ないじゃない
大人でもそうなのに 子供ならなおさら
親が側に いるだけで 少しでも安心できるもの
「それくらいの傷なんか 飽きるほどみてるワ」 との主人
不安な気持の患者に直接かかわる医者なのに
本当に 心無い言葉を平気で投げかける
人間としての教育は 受けたのでしょうか?
この話は 今でもたまに 話してくれます
多くの医者がそうだとは 言いません
心が弱くなっている 人に接するお仕事をされてるのだから
プロとして 心の勉強も しっかりとして欲しいものです
『しょう』の額の傷は 今では 全く分かりません
それだけで 済んで本当に良かった
うーまくー『しょう』の2つ目の傷のお話でした
2008年12月18日
ごめんね
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なちぶさー『しん』はますます エスカレート
お父さんが抱いても ダメで これでもかーーーっというくらい泣き叫ぶ
子供にこれだけ 求められるということは 母冥利につきる訳ですが
この泣き攻撃は かなり私を追い詰めた
主人は朝早い仕事 夜泣きをするので 起こしてはいけないとあやす
なかなか寝てくれない『しん』
寝不足の上に 昼間も すぐ泣きだす始末
疲れも相当来ていたのでしょう
『しん』への変な夢に続き 私はかなり苛立っていた
その頃の『しょう』は おしゃべりもするようになり
言うことを よく聞いてくれる おりこうさんでした
いくらお話が上手にできるといっても1歳半
そんなにいろいろなことが 理解できる訳はずもない
それなのに 私は・・・
あの時のことは あまりよく覚えていない
『しん』が例のごとく 何が不満なのか ギャーギャー泣くので
抱いてあやしていた
その時 『しょう』が 私に何か言ってきた
私は 『しょう』へ 「こうして」 とか言ったと思う
でも、『しょう』は理解できなかったのだろう
言うことを聞かなかった
多分、何度か同じ事を言ったような気がする
相変わらず 『しん』は泣きわめく
『しょう』はそれでも 言うことを聞かない
イライラが最高潮に達した私は
『しん』を抱っこしながら 『しょう』のおしりを 蹴ったのだ
あの時の 『しょう』の顔を思い出してみた
大きな目がびっくりしたように更に大きくなり 顔が固まった
びっくりしたような 恐れの様な 表情だった
私は 苛立っていた
あの時の 『しょう』の顔を見ても なお苛立っていた
きっと、幼児虐待をしている人は こんな心境なんだろうな と
後で 思う
きっと 何かのはけ口を 抵抗できない弱い相手に 容易にぶつけやすいから
一度、はけ口を知ったら 自分を抑える事が出来ないのだろう
心理学の勉強をしていた時に その事を思い出していた
私は 小さい頃の記憶が ほとんど無い
それは、小さい頃に何か あったのかもしれない
それとも 思い出すほどのことは 何もなかったのかもしれない
何せ 記憶が 蘇らないので 本当の事はわからない
でも、記憶にない小さい頃についた 「傷」は
大きくなった頃に 消極的だったり コミュニケーションが苦手だったりと
何かしら 表れてくるといわれる
私は どこで誰にどんな風にいつ 受けたのかは思い出せないけれど
『しょう』が大人になった時 その時に受けた 「傷」が
彼に何かしら影響を与えてしまうのではないかと
正直、恐れている
愛する我が子を 自分にとって 最も大切な我が子に
自ら 「傷」をつけてしまったのだ
面と向かって このことを告白する勇気はまだない
いつか このブログではなく 自分の言葉で 『しょう』へ謝りたい
『しょう』は 私よりも大人だから
きっと 「は?そんなの覚えてねーよ。 別にいいんじゃない?」 って言いそう
そして、いつか 壁にぶつかった時に 自分が歩んできた記録を見て欲しい
親でも 普通のひとりの人間なんだということを
きっと 「そんなの わかってたしー」 って言われそう
告白したのは ただ、これだけが言いたかっただけ
「ごめんね」
2008年12月11日
かわいいお顔
このブログへお越しくださった方へ
20年前の我が子の成長を 振り返り綴っています
古いお話ですが 折角お越しくださったのですから
くつろいでくださいね
ここですこーし 記憶をさかのぼって 『しょう』が1歳になった頃のことを・・・
親の私が言うのもなんですが めちゃめちゃかわいい子でした
おめめパッチリで (*ё_ё*) 私には全然似てませんでした
あの頃、私の友達によく言われたのは
: きゃーーっ きゃわいい
粉ミルクの缶の赤ちゃんに似てる~~
でした
ほんとに似てたんですよ あっ、今、親バカだって思ったでしょ
ほんとなんだから~
ある日、 『しょう』を連れてお買い物に行った時
スーパーのカートに 『しょう』を座らせ お買いものしていたら
知らないおばちゃんが にこにこと話しかけてきた
: まぁ~、かわいい赤ちゃんね おめめパッチリだねぇ~
そして、『しょう』の顔と 私の顔とを何度か見比べて
: お父さん似かなぁ~
ほっといてくれ
余計なお世話じゃっ
自分の子を褒められると 嬉しくなるけど
こんな率直なコメントは やっぱり傷つく
『しょう』は 私にも 主人にも 似ていず 私の兄に似てしまった
私の最初のコンプレックスの原因であります
ま、それも30歳までだよねぇ~
兄に似ている『しょう』を見て 「あ~~、大人になったら あんなに変わっちゃうのかな~」
と 今から心配している 母です
そうならないことを 祈りつつ カッコいい男でいてくれ と願うばかりです
赤ちゃんの頃から 女の子のようなお顔の 『しょう』は よく女の子に間違えられた
それは、高校生になってまでも そうであった
現在は、顔事態はそう変わってはいないけれど
去年、新聞配達の途中 飛び出してきた猫を避けるため 自転車でコケ
電柱に顔からぶつかり 鼻にヒビがはいった
どうやら その時に 前歯が欠けてしまったらしく
夏に帰って来た時 はーもー(歯が欠けてる)になってたーーーー
「あいえな~、あったるちらぐゎ~ やーふんぬなー」
(ありゃりゃ~、あんなにかわいい顔が 本当にもう)
が私の第一声でした
来年、成人式を迎える 『しょう』 はーもーは治してるかな?
2008年11月25日
育児ノイローゼ
20年前の我が子の成長を 振り返り綴っています
古いお話ですが 折角お越しくださったのですから
くつろいでくださいね

長男『しょう』は 6か月くらいから離乳食をはじめ
離乳はその頃からスムーズに行えました
ま、その頃からおっぱいの出があまりよくなかったのもあるんですが
10か月頃から歩き始め 1歳2か月頃からトイレトレーニングも順調
1歳半には 夜起こすこともなくなりました
そして、なちぶさー次男『しん』 が誕生し
しょっちゅう 『しん』に振り回され
その変わり『しょう』は手のかからない子だったので
精神的にも 肉体的にも とても助かりました
『しょう』はお兄ちゃんとしての 意識も出始め
『しん』の相手もしてくれる
『しん』が泣き出すと 「おかあ~~~ん」と私を呼びに来てくれる
とても 仲の良い 兄弟です
私は、『しん』の夜泣きと 昼間でもなかなか家事も出来ない状況で
お昼寝の時 時々一緒に寝てしまう事がありました
その時、私にとって すごくショックな出来事が起きました
睡眠不足で 疲れてた私
『しょう』と『しん』の お昼寝に添い寝をしていたら
そのまま 一緒に寝てしまったのです
二人が寝ている時しか 家事が出来ないのに・・・
そして、夢を見たのです
内容はショックのせいか覚えていないのですが
『しん』が隣で寝ていて 泣いている『しん』の首を
私が締めてるんです
あまりにも リアルで はっ
と目が覚め 自分が急に怖くなったんです
よくニュースで 子育てに苦しみノイローゼになりわが子を殺めてしまった
私、ノイローゼになってる
こわかった~

ほんとに こわかった~

自分がそんな風な 夢をみるなんて
そうして 思ったんです
自分ひとりで何でもやろうとして 頑張りすぎたんだ
疲れてるのに 親が子供の面倒を見るのが当たり前だし
私ひとりでだって できる
年老いた 親に面倒かけたくない
疲れてたんですね
気付かずに 体だけじゃなく 心までも
そして、 実家へ行き
子どもを預け ひとり身軽にお買いもの
ひとりで頑張る必要ないんです
頼られる人が居れば 甘えることも必要
頼る人が居なければ ベビーシッターや1日だけの保育所など
利用できるものもあるはず
心まで病んでしまっては 影響を受けるのは子供
愛するべき子どもたちが 最も被害を受けてしまう
それこそ 悲劇です
今回は 次男への 懺悔です
このことは、多分一生本人には言えないかもしれない
何もしていないけれど そんな夢を見てしまった
お母さんを許してね
ごめんね いつまでも愛してるよ




